0歳0ヶ月の養子…赤ちゃん縁組制度の幸せと苦悩
おはようございます。
今、日本では0歳0ヶ月の養子縁組が、増加傾向であると知っていましたか??0歳0ヶ月・・・つまり生まれたての赤ちゃんを養子に出す人と、その赤ちゃんを受け入れる人が増えている、ということです。
養子に出す側・・・子供を育てられない
養子をもらう側・・・子供がほしい
おたがいに理由がある、わけです。
今回、FNSドキュメンタリー大賞を受賞した「赤ちゃん縁組~いつか家族になる日」という番組があり・・・
「子供がほしい」、「子供ができない」、「高齢だがどうしようか」と考えているあなたに、喜びや苦悩をお伝えできるので、番組をベースにお話したいと思います。
さっそく、育ての母となる女性と、生みの親である女性が対面するところから始まります。
”新しい母”は、涙を浮かべながら「ご縁をありがとうございます」と挨拶。そして、産みの母は、「こちらこそ助けていただいてありがとうございます」と返しました。
Case1「44歳の女性」
特別養子縁組の道を選んだ44歳の女性と、45歳の男性夫婦。
子供を諦めていた44歳の女性は、「子育てできる喜び」を感じていました。養子縁組を受け入れる前は、子供を目にすること自体が苦痛であり、おむつのCMを見るのも嫌な状態でした。
一方、赤ちゃんを養子に出す母は、どのような理由なのでしょうか。
24歳の彼女は、望まぬ妊娠で自殺まで考えていたそうです。
自殺を考えるほど悩んだ理由は、自身の家庭環境によるものでした。「適切な環境がととのっていない中で子供を生むと、その子がこんなに精神的に歪んでしまうのか・・・」という、彼女自身の体験が、今回の決断をさせました。
つまり、自分のような思いを、我が子にさせたくないという気持ちです。
養子縁組の制度がなければ、産まない選択をしたということなので、赤ちゃんは制度に救われましたし、受け入れた夫婦も救われたケースとなりました。
それから一ヶ月・・・
「14時7分、男児、体重3095g、身長48cm、頭囲34.5cm、胸囲31.0cm アプガースコア8.9」
無事に生まれた連絡が、新しい夫婦の元へ届きました。
「おめでとうございます」。意外にも(?)、多くの人がおめでとうございます、と声をかけてくれるそう。
喜びを噛みしめる夫婦。しかし、不安はまだありました。
「やっぱり育てたい・・・」。産みの母が、やっぱり育てたいと考えを帰る可能性もあるからです。
実は、この特別養子縁組。
半年間の試験養育期間があり、その間に生みの親が心変わりした場合は、子供を返さなくてはいけません。
出生の連絡から6日後、新しい夫婦は病院で”我が子”と対面。みずから子を産んだときと変わらぬように、父はビデオを構え、母はぎこちない手つきで我が子を抱き上げる。
そこには喜びしか、ありませんでした。
(新しい)お父さんのメッセージ
「尚太郎、生まれてきてくれてありがとう!尚太郎は我が家に来ることは決まっていて、尚太郎が望んできてくれたのだから、どんな事があっても尚太郎を守るし、家族3人で仲良く明るい家族にしよう!!」
~2ヶ月後~
育児に忙しい日々。我が子を抱っこしながら、予防接種の問診票を確認。しかし、戸籍はまだ、生みの親の方にある状態。
病院や役所に行くたび、生みの親の名字を目にするのです。
”産みの親”の現在の心境は、どうでしょうか?
この夫婦は、NPO団体に、養子を取り持ってもらったため、その後の経過報告も、団体を通じて間接的に、やり取りが可能でした。
「おとなしく育っていてよかったです。報告ありがとうございます!」
そのように、産みの母はメールで伝えました。
夫婦が恐れることははただひとつ。「心変わりをしないだろうか・・・」。
半年間の試験期間中ならば、産みの母は、いつでも同意を撤回できるのです。
その恐怖をのぞけば、やはり喜びしかありません。
一緒にお出かけし、周りの人たちに「かわいいねえ」と声をかけられ。一緒にお風呂に入り、3人の夕食を楽しむ。
親権を渡したくない
育てられないけれど、親権は渡したくない。そんな産みの親の気持ちから、日本の特別養子縁組は、まだまだ浸透していません。
その結果、産みの親と暮らせず、しかし新しい親の元へ行くこともできない「施設の子」が大量に生まれるわけです。
施設の人は言います・・・「預けられた子は、どこか人を信じていな顔をしている・・・」。
1日も早く、自分だけを見てくれる特別な人のところへ行ってほしい。そう願います。
46歳の母
不妊治療のために月5~6回、東京へ通院する46歳の女性。治療開始から4年が経過・・・
採卵手術 20回以上
移植手術 4回
治療費 1500万円以上
経済的に、そして体力的にも限界を感じる・・・
夫も努力をする。話で良いと聞いたサプリは積極的に試してきた。カバンの中には、15種類ほどのサプリが入っていた。
食事にも気を使う。毎食必ずたまごを食べる。たまごはビタミンC以外なんでも入っているそう。同時に、糖質制限も行っていた。
そして食後に妻は、処方された錠剤を飲む。
「そこまでして、子供がほしいですか?」記者は問いかけました。
妻は「家族という形への憧れ」が理由だという。
夫婦だけでは、恋人と同じ。子供がいてはじめて家族が完成形な気がすると打ち明けた。
夫婦は、家族の完成形を目指すため、不妊治療と同時に、里親になる準備もはじめました。
実子にこだわっているのだろうか?
私は実子にこだわっていないつもりで、こだわっているのだうか?子供が夫婦どちらかに似た顔、どちらかに似た性格・・・。それは里親では感じられないものかもしれない。
自問自答を繰り返し、涙が自然と溢れた。
今日も、通院。宿泊費を抑えるため車中泊。期待をしつつ・・・
38歳妻と41歳夫
赤ちゃんを受け入れる特別養子縁組には費用がかかる。団体スタッフの賃金や、産みの親の出産費用を負担するためだ。
そんな見えない部分の話まで、取材に応じてくれていたこの夫婦。特別養子縁組制度への偏見が少しでもなくなればと考えていたのだが・・・
取材を進めていくうちに、「顔と名前を出さないでほしい」と夫婦は言いました。なぜ?
自分たちには、特別養子縁組になんの偏見もない。しかし周りの人に話し度、少しづつ心境が変化したようでした。
公表すべきか?
血の繋がりがないことを、周囲に公表すべきか。
育ての親が集まる会でも、この議題は、かんたんにまとまらない。夫婦の間でももめるテーマだ。
子供のために、どうすべきか。
公表をした場合、周りの全員が理解してくれるとは思わない。しかし隠しているのは、”うしろめたいこと”をしているようで嫌だ。
堂々と、迎え入れたのだから。
子供(養子の子)は、かわいい。しかし、夫婦間がギクシャクしてしまう場合もある。そんなケースでした。
「ただの育児疲れなのかもしれない・・」。そう思いながらも、斡旋団体への定期的な提出書類を作成する。
愛情は違う?
夫いわく、「妻は、やはり自分で生んだ子ではないから、愛情が違うのではないか」と話す。そして、その愛情の違いに妻は罪悪感を感じ、自らを責めているのではないだろうか。
産んだ子供と、養子縁組の子。
捧げる愛情は、違うのだかろう。
6歳の子
文野陽菜ちゃん、6歳。陽菜ちゃんは、あかちゃん縁組で、家族に迎えられた子供だ。今日も元気に走り回る。
下の弟は、5歳。この子もまた、赤ちゃん縁組で迎えたひとりだった。
6歳の陽菜ちゃんは、今年から小学生。
おばあちゃんに買ってもらったランドセルをお家で背負い、ニッコリとはにかむ。
お部屋にある、自分の机にスタッフを案内すると、アルバムをむせてくれた。そこには、コレまでの思い出がいっぱい写真に残っていた。
ハロウィン、誕生日、飛行機に乗ったこと・・・
すべて家族との思い出だ。
お母さんが2人いる
陽菜ちゃんは、お母さんが2人いると言います。
実際に存在を知っていて、名前も知っているそう。この日は、お手紙を書きました。「会いたいな」と。
「合って、こんなに大きくなったよ」と伝えたいそう。
(育ての)お母さんは、迎え入れたその日から、産みの母が別にいることを積極的に伝えている。
絵本を使った読み聞かせでも伝える。「産んだお母さんは若すぎてそだてられなかったこと」「育ての親があなたを大切に思っていることを。」
育ての母の気持ち
陽菜ちゃんの(育ての)お母さんは、産みのお母さんにも、陽菜ちゃんの成長を見てほしいといいます。
あの日、陽菜ちゃんを託された日。
涙を浮かべた産みの母は、ひなちゃんを育てるにはあまりにも若すぎた。
「しっかり責任を持って育てます」
それが託された母の気持ちでした。
小学校入学祝いは、産みの母からも届いた。一緒に入っていた”母”の写真を家族で見る。
母親が二人いる。しかし現在、とても良い状態に思えた。
これでひとまず、お話は終わりです。ありがとうございました。